| ●平成二一年睦月二九日 あれから一〇年たちました
先日、拙作「ワタシノココロ」を読みかえしてみると、いろいろと感じるところがありました。
大きなところでは、近未来を予測するのは難しいというところです。
例えば「厚生省」ですが(厚生労働省:2009年1月4日現在)、役所の名前は、統廃合や昇格・降格があるので、そのときの名前以外を予測することがとてもやっかいなのです。
自分の作品では出てきませんが、やや古めのSF小説などで二一世紀の「東側」代表として「ソ連」の「書記長」が出てきていたりしますし、そのときの情勢ではソ連が崩壊するのは予想外だったのだろうなあと思います。
なにしろ、自分の子供の頃の近未来像では、二一世紀には車が当たり前のように空を飛んでいるハズですし、きちんとした区画整理がおこなわれ、ピラミッド型の集合住宅や、公害と無縁の工場地帯が海上に展開されていたハズです。
話をもとに戻して。
技術的なところでも読みが甘かった部分があります。
まさか、フラッシュメモリがDVDよりも要領が多くなるとはおもいませんでしたし、通信インフラについても光ケーブルがここまで普及するとは予想外です。
かといって、外見がヒトそっくりのロボットについてはまだ登場していませんが、これはただ単に需要がなかっただけなのかもしれません。
間違った予想として、電気自動車について自分は「バッテリー専用自動車」を登場させていますが、ハイブリットカーや燃料電池車がこの先主流になるでしょう。すると、水素スタンドはできても充電スタンドはできないかもしれません。
自分の希望する未来と、実際に訪れた未来の差が、作品のリアリティを失わせてしまうんだなあと感じています。
自分の書いている学園物は、書いている時点の年代をもとにしているので、書き上げた時点ではそのときの情勢と作品内部の情勢はほぼ一致しています。そのため、時間をおいて読み直すと、あの頃、どんなことがあったのかを思い返すことができます。
ただ、年代を特定する記述が無いので、読者の立場では古い作品を読むと、ずいぶんと時代遅れな設定だと思われるかもシレマセン。
自分の場合、作品の執筆を(というと、ずいぶん偉そうに聞こえますが)、途中で中断し、時間をおいて再開したときに、その間に情勢が変わっていて、結局最初から書き直しになることもあります。
例えば、物語の舞台となる設定が「パソコン通信」だったり、屋外での通信手段が「ポケットベル」か公衆電話だったり、カメラも「感光式フィルム」だったり……
まあ、それについては、掘っておいた自分が悪いのですが。
それらについて、必要な部分を現在の状況に帰られればよいのですが、それらが必須である物語である場合、泣く泣くおくらいりとなるのです。
古い時代の話と割り切って、書いてしまうのも手だと思うのですが、年代が中途半端なため、それもためらわれるのです。
ここら辺は「新作ができない理由」にも、なるわけですが……
ま、ただの言い訳ですね。
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